二人は元代呉興の画家・書家である。結婚のあとを伝えるのは数点の絵と一篇の墓志銘、そして彼女の死後およそ280年を経て現れる、泥を詠んだ一首の詞である。

この物語について

彼女の生没年、家族、封号、埋葬は、趙孟頫が自ら書いた墓志銘、『元史』巻172の趙孟頫伝、陶宗儀『書史会要』巻七、そして台北・北京の故宮博物院と海外の博物館に所蔵される作品に拠っている。記録のない点は四つある。泥の詞と側妾の逸話には元代の本文がない。成婚の年は一つに定まらず、英語圏の文献は1286年、中国の年表は1289年とするため、本稿は「1280年代の後半」と記した。子女の数は諸本が一致しない。趙孟頫が詞を詠んだときの年齢も明らかでない。

01 呉興の二つの家

趙孟頫は1254年、呉興(現在の浙江省湖州)に生まれた。宋の帝室の血を引き、『元史』は太祖趙匡胤の十一世の孫とする。管道昇は1262年、同じ町に生まれ、父は管申であった。彼女の墓志銘は趙孟頫の筆になり、冒頭で名と出自を記す。「夫人諱道昇,姓管氏,字仲姬,吳興人也」——夫人の諱は道昇、姓は管氏、字は仲姬、呉興の人である。

二人が家にもたらしたものは、まず筆であった。彼女は墨竹・墨梅・蘭を描き、山水、仏像、詩詞、書もよくした。在世中に名を成したのは夫のほうである。『元史』は、篆・隷・楷・行・草に古今並ぶものがなく、天竺の僧が数万里を隔ててその書を求めたと伝える。趙孟頫は1286年以降に元の朝廷へ出仕し、翰林学士承旨に至った。結婚は1280年代の後半とされる。

02 同じ書斎

二人は同じ書斎で筆を執った。その記録は、主に絵として残っている。紙本墨画の「竹石図」は台北故宮博物院に、1308年の「水竹図巻」は北京故宮博物院にある。1313年の彼女の墨竹図巻は、のちに趙孟頫と子の趙雍の墨竹と合装され、「趙氏一門三竹図巻」として同じく北京に伝わる。古画の帰属は単純には定まらないが、彼女の筆をたどる手がかりはこれらの作品である。

宮廷での位置を最もよく示すのは、皇帝の言葉である。仁宗は彼女の書を趙孟頫・趙雍の書とともに巻軸に装わせ、宮中の書庫に収めさせた。明の陶宗儀『書史会要』巻七はその理由を伝える。「使後世知我朝有一家夫婦父子皆善書也」——後世に、この朝廷には夫婦父子そろって書をよくする一家があったと知らせよ、と。この話は『堯山堂外紀』巻七十にも見える。

03 二つの泥

彼女の名で最も多く引かれるのは、一首の答詞である。伝えるところでは、趙孟頫が側妾を迎えようとして詞を書き、彼女が同じ調べで答えた。答の詞では、二つの泥をこね、一つを夫に、一つを自分につくり、それを共に打ち砕いて水で調え、ふたたび形づくる。「我泥中有你,你泥中有我」——私の泥の中にあなたがあり、あなたの泥の中に私がいる、と。詞は最後に、生きては一つの衾、死しては一つの棺を願う。

現存する最古の本文は、明の蔣一葵『堯山堂外紀』巻七十にある。万暦年間(1573—1620)の筆記で、彼女の死から約280年後である。元代の文献に痕跡はない。この書物は年月も記さず、趙孟頫の年齢も与えない。「五十歳」は後代の付加である。記録としては裏づけを欠くが、後世に語られた物語としてはよくできている。身近な材料で組み立てられた夫婦のやりとり、具体的で残る像、覚えやすい短い句。多くの読者が彼女の名を知るのは、この詞のゆえである。

彼女には「漁父詞」と題する一首もある。これも『堯山堂外紀』巻七十に収められ、同じ巻には趙孟頫の和詞が並ぶ。「人生貴極是王侯,浮利浮名不自由。爭得似,一扁舟,弄月吟風歸去休」——極めた位は王侯であっても、浮利浮名は自由にならない。どうして一葉の舟に及ぼうか、月に戯れ風に吟じて帰るのがよい。二首の唱和は、この巻に並べて記されている。

04 山東の官船

1317年、彼女は魏国夫人に封じられ、以後の史料は彼女を管夫人と呼ぶ。二年後の1319年、長い病ののち、山東の官船の上で没した。数え年58。趙孟頫は看病のため暇を請い、南へ連れて帰る途上だった。趙孟頫は1322年に没し、徳清に近い東衡で彼女と並んで葬られた。湖州の蓮花庄の旧宅と東衡の墓はのちに整備された。手がかりの最初に置かれるのは、夫が書いた墓志銘である。

残ったのは詞ではなく、絵と書である。台北の「竹石図」、1308年の水竹図巻、趙孟頫との「趙管尺牘合璧巻」、メトロポリタン美術館の蘭竹合璧巻、そして1302年、呉道子に倣った大阪市立美術館の観音図。子の趙雍・趙奕も書画で知られた。

泥の詞のほうは、元代の文献に見えない。それでも明清以来、くり返し写され、引かれ、書きかえられてきた。評判とはそうして育つもので、作品は博物館の陳列ケースに、物語は別の場所に残る。

出典と参考資料

  1. 魏国夫人管氏墓志铭 (in 松雪斋外集), Zhao Mengfu's epitaph for his wife — primary source for her name, family and titles; consulted through the footnotes of the Chinese Wikipedia article
  2. 元史 卷172 赵孟頫传 — official history; source for his lineage, offices, death in 1322 and the line 子雍、奕,并以书画知名
  3. 尧山堂外纪 卷070 (维基文库) — Ming notebook by Jiang Yikui; earliest known text of the mud poem and of Zhao's teasing lyric, ending 松雪得词,大笑而止
  4. Guan Daosheng, Wikipedia (English) — background overview and bibliography for the paintings and the 1317 title
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