五八九年、隋の軍が陳の都を落とした。その前に、太子に仕える属官と皇帝の妹は鏡を割って半面ずつを持った。都の市で起きた続きは、晩唐の一書と四字の成語にだけ残る。
典拠:唐・孟棨『本事詩』第一巻「情感第一」(九世紀後半)。引用原文は維基文庫の四庫全書本(出典一覧参照)による。同本の提要は、この書の記事のうち六朝のことは楽昌公主と宋武帝の二条のみと記す。漢文の現代日本語訳および英中訳はすべて筆者による。五八九年の隋による陳平定、陳後主、楊素の越国公の号などの背景は出典一覧の百科項目による。鏡の以後の行方、江南に帰ってからの二人の生活、戯曲・映像化などの後世の増補は本稿では用いておらず、その旨を本文に明記した。
滅びゆく国での約束
この物語の早期の出典は一つしかない。晩唐の孟棨(もう・けい)が編んだ『本事詩』第一巻「情感第一」である。清代の四庫館臣は提要で、この書の記事のうち六朝のことは楽昌公主と宋武帝の二条だけだと指摘している。本話はその一つである。
孟棨はまず四つの淡々とした句で素性を述べる。「陳太子舍人徐徳言之妻、後主叔宝之妹、封楽昌公主」――徐徳言は南朝陳の太子に仕える属官、その妻は陳最後の君主・陳叔宝の妹で、楽昌公主に封じられていた。「才色冠絶」、才も容貌も並ぶ者がいない。「時陳政方乱」、陳の政はまさに乱れていた。「徳言知不相保」、徳言は二人とも保てないと悟っていた。
そこで彼は、情感を込めず、まっすぐに言う。「以君之才容、国亡必入権豪之家、斯永絶矣」――君の才と容貌なら、国が亡べば必ず権力者の家に入る、それで我々は永久に絶たれる。「儻情縁未断、猶冀相見、宜有以信之」――もし情の縁がまだ切れておらず、再び会える望みがあるなら、証となるものを一つ持つべきだ。
彼は銅鏡を一面割り、半分を妻に渡した。約束は具体的だった。正月十五、一年で最初の満月の日に、その半面を市で売れ。私はそこにいる、その日に探しに行く、と。
銅鏡は鋳造するもので、切り分けるものではない。一面ごとに一度鋳、片面だけを磨く。同じ鏡の二つの半身は、その不規則な割れ口でしか合わず、他のどの半面とも合わない。証としては偽造できず、取り違えも起きない。だからこの物語は、二人がどうやって相手の半面を見分けたかを説明する必要がない。
市に売られた半面の鏡
五八九年、陳は隋の軍に滅ぼされた。妻は果たして越国公・楊素の家に入った。楊素は滅陳の将軍の一人で、後に隋朝で最も権勢をふるった人物である。本文は「寵嬖殊厚」――寵愛はことのほか深かった、と言う。徳言は「流離辛苦」、流浪して苦しみ、ようやく都にたどり着いた。
そして約束の日。「有蒼頭売半鏡者、大高其価、人皆笑之」――ある召使いが半面の鏡を売っていて、法外な値を言い、誰もが笑った。「蒼頭」は頭巾をかぶった家の召使いのことである。ここが物語の要だ。この都でそんな品を欲しがる者は一人しかいない。その馬鹿げた値段こそ、手紙を送れない女が、半面の鏡に自分を名乗らせる方法だった。
徳言はその召使いをそのまま宿へ連れて行き、食事を出し、事情を残らず語り、自分の半面を取り出した。二つは合った。
「鏡は帰れど、人は帰らず」
彼は鏡に二十字を書きつけた。「鏡与人倶去、鏡帰人不帰。無復嫦娥影、空留明月輝」。鏡は人とともに去り、鏡は帰ってきたが人は帰らない。嫦娥の影はもうなく、ただ明月の輝きだけが空しく残る。
嫦娥は月に奔った女であり、磨かれた円い銅鏡は月に読まれた。鏡の中の妻の姿は「嫦娥の影」なのである。この詩の力は、一つの物を二つに引き裂くところにある。鏡の半身は合わさる。二人は合わさらない。
詩を読んだ彼女は泣き、食事を断った。楊素はそれを知り、この物語で記憶される行いに出た。「愴然改容」――顔色を変えた。徳言を呼び、妻を返し、手厚い贈り物をした。「聞者無不感嘆」、聞いた者は皆ため息をついた。さらに二人と酒を酌み交わし、彼女に詩を作らせた。即座に出てきたのがこれだ。「今日何遷次、新官対旧官。笑啼倶不敢、方験作人難」――今日は何という移り変わりか、新しい主が古い主と向かい合う。笑うことも泣くこともできず、はじめて人が生きる難しさを知る。(「遷次」は官職や位次が移されることをいう語である。)
そして「遂与徳言帰江南、竟以終老」――徳言とともに江南へ帰り、そこで齢を終えた。話はそこで止まる。どの町かも、何年かも、子がいたかも書かれない。
この物語が語りえないこと
はっきりさせておきたい。これは年代のある文学である。『本事詩』は編年史ではなく、まず詩があり、その詩を説明する事情を添えるという作り方をしている。ここにある二首は、置かれた枠に合わせて整えられている――どちらも一聯の対句で成立している――詩が先か話が先かはともかく、両者は一緒に形づくられ、語り直されることを前提にしている。
史書が与えるのは外側だけだ。五八九年に陳が最後の君主のもとで滅びたこと、隋の平定、楊素の越国公の号は記す。だが楽昌公主も、この鏡も、二首の詩も記さない。つまりこの六世紀の二人は、彼らの世界が終わってから三百年近く後の晩唐の作家を通して、私たちの前に来ている。二首が本文の言う人物の手になるものか、私には確かめられない。
孟棨は二つの半面がその後どうなったとも書いていない。後世の翻案――戯曲、成語辞典、子ども向けの本――は場面も台詞も付け加えている。私はそれらを確認しておらず、本稿では一切用いていない。
残ったのは「破鏡重円」という四字である。よく見れば感傷的ではない。割れ目がなかったとは言っていない。二つの縁がまだ合う、と言っているだけだ。そして継ぎ目は、元の鏡の上でも見えている。
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