詩は二十八文字で、ほとんど何も語らない。同じ門、同じ桃の花、そしてもういない顔。女が誰だったのか、その後どうなったのかも書かれていない。多くの読者が知る物語——杯の水、錠の下りた扉、左の扉に書かれた詩、絶食しての死と蘇り——は、詩より後の散文資料、孟棨『本事詩』に由来する。巻頭の自序は光啓二年(八八六年)の日付を持つ。本稿は詩と唐代の筆記と現代の読みを別々の部屋に置き、それぞれが何を語り、何を語れないかを見る。
本稿は三つの層を分けて扱う。詩は崔護「都城南荘に題す」で、清代編纂の『全唐詩』巻三百六十八(https://zh.wikisource.org/wiki/全唐詩/卷368)に収められ、本文は「人面不知何處去」、句下の校記に「一作祗今」とある。杯の水、錠の下りた門、左の扉の文字、娘の死と蘇りという筋は、孟棨『本事詩』「情感第一」に由来する。九世紀、詩にまつわる逸話を集めた書で、巻頭の自序は光啓二年(八八六年)の日付を持つ(https://zh.wikisource.org/wiki/本事詩)。『本事詩』の第三句は「人面如今何處去」で、「不知」との違いは版本の異文であり、二つの物語ではない。同書は詩がどう書かれたかを語る文学的な逸話であって、史書の記録ではない。崔護の字、及第の年、終官は『全唐詩』の清代編者による小伝にのみ見え、本稿では用いない。出身の博陵は『本事詩』の冒頭に見える。また『全唐詩』の詩後の注は『太平広記』を引いて同じ話をより簡略に記すが、本稿は『太平広記』の原巻を確認していない。
門と桃の花と、一年
四行の詩がまず定めるのは、一つの日付である。「去年今日この門の中」——詩はそう始まり、「人面桃花相映紅」、人の顔と桃の花が互いを赤く映す、と続く。門にも道にも家にも名はない。詩が与えるのは、一つの門と、花咲く木と、一年のある一日だけである。
そして詩は同じ場所へ戻る。「人面知らず何処へ去りぬ、桃花は旧りに依りて春風に笑う」。二つの春の日が並んで立ち、花は同じで、違うのはただ一点。詩の構えはそれだけのことだ。場面が繰り返され、人がそこから差し引かれる。
二十八文字と、その周りの沈黙
漢語でこの詩は二十八文字。うち四文字が「人面」、四文字が「桃花」で、繰り返しそのものが論旨である。感情らしく響く唯一の動詞は木に属する——花が風の中で「笑う」。
詩が言わないことも同じくらい重要だ。女に名はなく、若いとも美しいとも、病んだとも嫁いだとも死んだとも書かれない。出会いも、会話も、扉を叩く音も、捜し求めることもない。話し手は彼女を訪ねたとさえ言わない。彼は一つの門と一つの季節を報告し、「知らず」の二文字で止まる。
唐代の筆記が補った物語
残りは別の手から来る。孟棨『本事詩』は九世紀、詩にまつわる逸話を集めた書で、巻頭の自序は光啓二年(八八六年)の日付を持ち、「情感」の門から始まる。そこではこの四行に筋が与えられる。博陵の崔護は進士の科挙に落ちたまま、清明の日に都の南を独り歩き、一畝の邸に至る。花木が茂り、人の気配がないほど静かである。彼は久しく門を叩く。女が門の隙間から覗き、誰かと問う。彼は姓を名乗り、水を乞う。女は杯の水を持って来て門を開け、座を設け、それから小さな桃の木の斜めの枝にもたれて立つ。
筆記はさらに添える。彼女の情は厚く見えた、と。崔護が言葉で誘っても、女は答えず、ただ長く彼を見つめていた。彼が辞去すると、女は門まで送り、こらえかねるようにして中へ入った。その後、彼は二度と来なかった。
左の扉の詩と、もう一度の帰り
一年後、同じ祭日の日、彼は彼女を思い、抑えきれずにまっすぐ訪ねる。門と塀はもとのままだが、扉には錠が下りていた。彼は詩を左の扉に書きつけた。
数日後、彼は再び訪れ、中から哭声を聞く。老いた父が出てきて、崔護かと尋ね、「そなたがわが娘を殺した」と言う。娘はちょうど簪を挿す年頃で、文字を知り、まだ嫁いでいなかった。去年このかた、しばしば何かを失ったようにぼんやりしていた。左の扉の文字を読み、中へ入って病み、数日食べずに死んだ——父はそう語る。崔護は入って哭き、彼女の頭を起こして自分の腿に枕し、「ここにいる、ここにいる」と言う。女は目を開き、半日して生き返った。筆記によれば、父は大いに喜び、娘を彼に与えた。
版本のあいだの一字
二つの本は一点で合わない。『本事詩』は第三句を「人面如今何處去」とする。清代に編まれた『全唐詩』は「人面不知何處去」とし、句下の校記に「一作祗今」と記す。祗今はすなわち「只今」で、『本事詩』の「如今」と同じ意味であり、「不知」と向かい合う語である。「如今」はこの句を一つの時刻にし、「不知」は暗がりに留める。通行の詩が残すのは、何も聞き出せなかった話し手である。
桃の花のこだま
第四句より後のすべてはあの筆記に属する。「人面桃花」はその後、馴染みの土地を訪ねて人はもういない、という意味の漢語の言い回しになった。それは後世の堆積であって、唐の語ではない。筆記は詩が残した問いのすべてに答える——彼女が誰だったか、何を思ったか、生きていたか——そして「知らず」の抒情詩を、結婚で終わる物語に変える。
これは読みであって、記録ではない。並べて読むと、両者の不一致はむしろ働く。逸話は詩が与えない再会を補い、四行の詩は、その後どうなったかを語ることを拒むことで、いまも力を持つ。花は笑い、門は同じ門で、句はそこで止まる。
出典と参考資料
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